先日、年老いた親の名代で伯母のお通夜に参列してきました。

5年前に伯父(伯母の連れ合い)が亡くなったときには、親の兄弟全員が駆けつけ、私たち「いとこ」連中も、ほぼ全員集合しました。(父方のいとこだけで13人。母方は7人)

そのときにはまだ元気だった親世代は、5年の歳月と共に身体の自由が利かなくなり、子供である私達が「名代」として参列するという有様に。。。 なんと、いとこたちもその「お役目」を担わされており、各家から一人づつ参列することになりました。

ここ数年、「ああ、もう自分たちに番(おはち)が回ってきたんだ」と思うことが多々ありまして、今回のお通夜ではそれがダイレクトに感じられました。

解ってはいましたが、人というのは亡くなるし、老いるし、動けなくなるものなんですねーっっ。

参列したいとこの一人が、「私たちも、老い先短いんだから、”いとこ会”をやっておかないとね」なんていう提案をし、皆、苦笑いをしながらも賛同していました。

そうは言っても、大人になれば他人より遠い存在のいとこ達と、今さら親睦会をやってもその先に繋がるとは思えないし、小さい頃の思い出話をして記憶との闘いをしても楽しいのかという疑問はありますけど。。。でも、本当に誰かが音頭を取ってくれれば、きっと、嬉々として参加してしまうんだろーなー。。。

それから。

お通夜や告別式などに参列すると、私はいつもお坊さんの衣装や使用する小物類などに注目し、さらに宗派によって異なるであろう「お経」や「所作」なども、興味津々の体で見てしまうクセがあります。

今回は、初めての「真言宗」!!!!! (同じ一族でも、宗派はそれぞれです)

いやー、なんといいますか、こんなこと言うと不謹慎かもしれませんが、誤解を恐れずに言ってしまうと、「見ごたえ」がありました。

丁度、最前列の端っこに座していた私の位置からは、お坊さんの一挙手一投足が全てまる見え状態。「ザ・堪能」でした。

「NAO・f」では、「梵字チャーム」をお作りしていますので、梵字をふんだんに使用する「真言密教」のお葬式には、以前から興味がありました。 あの独特ともいえる「真言」を唱え、印を結び、「空海さん」のお名前も頻繁に出てきたりして。。。

そして何より驚いたのが、焼香のトレイが座席に回ってきまして、座したまま焼香するというやり方。これは、宗派ではなく、その会場のやり方なのかもしれませんが、「こんなの、アリですかーっっっ???」と、その場にいた誰もが心の中で叫んでいるのが見て取れ、ビックリ仰天と共にちょっと笑ってしまいました。(またまた、不謹慎ですわーっっ)

なんとか、親の名代は務めて帰宅しました。 ですが、これからは自分たちが全てを任せられる世代となったことを自覚しました。 当たり前のことなのに、「いつかでいいや」という気持ちで日々を過ごしていると、いざという時にオロオロしますよね。 幸い、両親は健在ですが、自分が「喪主」となる場合もありますし、「葬儀委員長」を任されることがあるかもしれません。 よく、冗談で「自分が死んだら遺灰を海に撒いてくれ」なんて言いますが。。。 世の中、そんなに単純で簡単なものではありません。

いやー。。。 いろいろ、勉強になりましたわー。。。

2007_1031200801050144